Climbing Mate Club

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Chronicle

アコンカグアでアルパイン ポーランド氷河ルート

アックスイメージ
メンバー 丸山武志:渉外装備 河竹康之:食糧
百瀬尚幸:医療
記録 丸山 武志

日程
2004,12,18成田発—ロサンゼルス〜サンチアゴ〜メンドーサ〜プンタ・バッカス〜BC(12,24)〜C1〜C2(2005,1,1)〜ポーランド氷河〜Summit(1,2)~ノーマルルート〜BC〜メンドーサ(1,7)〜サンチアゴ〜ロサンゼルス〜成田着(1,9)

1月2日

 テントを出る前に満点の星空は確信していたが、一歩外に出ると外気の冷たさが標高5900mの夜空をいっそう引き立ててくれる。午前1時、待っていた月が昇る。しかし毎晩小用のたびに慰めてくれた月も、はや下弦、ヘッドランプの代わりにはなりそうもない。無風。素手になってもあまり冷たさは感じない。頭痛なし。体が昨日までよりずっと軽い。「行ける!」

 百瀬氏とC2を出たのは午前3時。他に明かりの灯るテントが3つばかり。大きな礫の中を白い氷河を目指して徐々に登っていく。昨日積んでおいたケルンが暗がりで役に立つ。氷河の舌端でアイゼン装着。カリカリとほどよい硬さ。時折風が通り抜ける。コースは充分頭に入れておいたはずだが、氷河の真っ只中に入ると、その大きさに圧倒され、感覚とあわなくなる。傾斜50度ほどのアイスクライミング。硬氷の表面だけ割れて、アックスが決まらない。シングルアックスにしたことを一瞬悔やむ。途中でアンザイレン。ロープを交互に伸ばすこと数ピッチ、底の浅いクレバス帯を抜ける。ロープをほどき、氷河中段の目印となる大きな岩(バンデラ岩:PiedoraBandera)を目指して左斜上。所々最中状態の雪にはまりながら、それぞれのペースで登る。日が昇り、黄金色の朝陽を浴びて、いやが上にも気分は高揚する。振り返ればC2のテントは米粒のように小さく、はるか高みと思えた北側のアメヒロ山も今はまさに足下だ。

 本ルートの核心と考えていたPiedoraBandera脇のクーロワールも快適に通過。岩角に色あせたザックが千切れて引っかかっていた。大岩の上は小屋でも建てられそうな平らな雪の台地。0.8リットルの魔法瓶に詰めてきた薄めのポタージュスープをすする。今回威力を発揮した高所用の行動食だ。

 ここからは稜線を目指してただひたすら登る。氷河上部はすり鉢状。風もなし。暑い。表面の氷が体重に耐え切れないと、膝までもぐるラッセル。標高6500m。頭痛はないが、体はすこぶる重い。上から見下ろすとすごい高度感。ここを下山に下るのはなかなか難儀、何があっても登頂してノーマルルートへ抜けたい。

 ようやくたどり着いた稜線の岩陰で大休止。メンドーサで購入したビスケットとチョコレートを無理やり口に詰め、スープで流し込む。二人とも体調は悪くない。

 稜線に出た途端に強風。南壁からだ。技術的にはやさしいナイフリッジを上り下りしていくと南壁が圧倒的な迫力で競りあがってくる。小1時間でナイフリッジは白きたおやかな峰に吸収される。いわゆる偽ピークの登場だ。くるぶしくらいのラッセル。ようやく登りつくとさらにその先に白い大きなドームの峰。時折耐風姿勢を要するほどの突風と絶えず吹き続ける南からの強風。真っ青な空とギラギラ輝く太陽にだまされて、気づかないうちに軽い低体温症になる。頭が冷え切って、背中がゾクゾク、震えであごがかみ合わない。いくら真夏の陽光の下とは言え迂闊過ぎた。高度7000mの吹きさらしで目出帽もつけず、ヤッケのズボンも途中で脱いだままだったのだ。強風の中、苦労してありったけの物を身につける。歩き出してしばらくしてからようやく震えが止まる。

 やがて傾斜が落ち雪が消え、赤茶けた岩が浅間山の鬼押し出しのようにゴロゴロしている平原のその先に、やや高みが見えてきた。アコンカグアの絶頂だった。先に着いていた百瀬氏と握手。まだいくらか暖かみの残るスープを注いでくれる。時に午後1時15分。夢に見た瞬間だった。

ことの始まり

 2004年8月夏の合宿は剣岳・真砂のキャンプ場。朝までの雨もやみ、浅野リーダー他はみな八つ峰へ登りに行き、テント場でごろごろしていたのは河竹氏と小生のみ。暑い下界を離れ、剣沢の雪渓の風を受けながら、チビチビと心の消毒液をなめるのは悪くない。「正月はどうしますか?」なんて話から、たちまち半月。インターネット時代のお陰で、アコンカグア山ポーランド氷河ルートが浮上。攀友祭で百瀬氏も加わり、3人のパーティーが決定。

準備

 IT時代の恩恵を充分受けた。ルートの研究などはHPで、登山基地メンドーサでの宿、BCまでの荷物の運搬(ムーラの手配)、入山許可やその他の手配、費用の概算などほとんどのことが電子メールで依頼できた。メンドーサに着いてから2日後に登山活動に入れたのも、電子メールを通じて民宿アコンカグアの増田氏が英語のできるエージェントを手配してくれたお陰である。エージェントは宿からの送迎、買出し(食糧および燃料)、入山許可の申請、登山起点への送迎、ムーラの手配など、のべ5日間もアッシー君をしてくれて3万円である(1パーティー)。食糧などは郊外大型店で、燃料(白ガソリン、EPI用ガス)は登山用品店で購入した。ただし高所用の食糧として日本からα米とラーメンを持参した。

 隊員間の連絡と意思の疎通もメールで試したが、予想外に困難を感じた。一方的な情報の伝達には有効だが、協議を経て全体の方向を決定していく手段としては、互いにまだ扱い慣れていなかったせいだろう。

費用

 航空券はキリスト教圏のクリスマス帰省のため早めに手配しないと格安では取りにくい(エアーリンク利用)。その他の費用は大方日本で得た情報どおり。

  • 航空券(大韓航空+ランチリ航空)  約21万円(施設料などふくむ)
  • 入山料                 3万円(300ドル)
  • ムーラ                 2万円(590ドル÷3人)
  • agent                  1万円(300ドル÷3人)
  • 食糧・燃料+滞在費+移動費       3万円(300ドル)
  • 国内 交通費+宅急便+保険       2万円

役に立ったこと・物

食糧 すしの素(粉末) 0.8リットル魔法瓶 アルファ米 ラーメン 装備 羽毛服 ストック(渡渉) サングラス2個 マスク(乾燥) 医療 睡眠導入剤 ビタミンCトローチ(乾燥)

日程と高所順応

Cerro Aconcagua 行動および到達高度(図1)
図1

登頂は偶然当初の計画通り登山活動13日目であるが、それまでの日程は臨機応変に変更した。

主な変更点とその結果

  • 3日目にBC4200mに入らず、高度3200mで二泊した。昼の行動は軽量で4000mまで往復(百瀬のみ4200mまで到達)。丸山の風邪が治らず、微熱があり体調不調であることと、河竹の4000mで高度障害が出やすいとの自己申告による。事前の例会でアドバイスを受けていた。
    ⇒ ○ 全員元気で高度障害なくBC入りできた。脈拍数(別グラフ)からも支持される。
  • BCからC1(4900m)への荷揚げを4日間から3日間に減らし、3日目にC1を設営した。
    ⇒ ○ 日程上余裕ができ、荷揚げ量も負担増には思えなかった。酸素飽和度、脈拍数からも妥当だったといえる。
         河竹が4500m前後で障害が出たが、原因は他だと考えられる。
  • 11日目は吹雪、C1に停滞。荷揚げ日を延長せず翌々日C2にあがった。
    ⇒ ○ 4900mでの停滞は良い休養になり、疲労が回復した。C2でも大きな障害はなかった。
  • C2(5900m)での滞在は登頂前日の一泊だけにした。計画では2泊以上するつもりだった。
    ⇒ ○ C1(4900m)で順応および休養できたので、C2で高度障害はあまりでなかった(頭痛などは出なかったが二人ともやや下痢気味。睡眠導入剤で比較的よく眠れた)。6960mの登頂までもほとんど頭痛などは現れなかった。ただし登頂後、極度に疲労感を感じた。登頂前に一泊した後C1に降りて休養できればベストだが、日程上の余裕を見ると、前泊だけでも充分ではないか。逆に連泊は疲労が増す危険がありそうだ(酸素飽和度より)。

パルスオキシメーターによる測定値

図2(丸山の測定値)
図2
図3(百瀬尚幸会員の測定値)
図3

  1. 計測は日に何回も行ったが、上のデータは主に起床前のもの。図2はすべて丸山個人の測定値。図3は百瀬氏のご好意による。複数回測定の場合はその平均値。
  2. グラフは左から行動日程順に日毎に記してある。左端はメンドーサ:700mにおける記録。
    BC:4200m  C1:4900m  C2:5900m  Summit:6960m
  3. 丸山は入山前1ヶ月ほど風邪で寝込んでおり、入山開始時も微熱あり。入山後回復。日本出国の一週間前、松本の事務所で 酸素飽和度98% 脈拍数85〜90。あまりの頻脈のため医者の診断を受けたが、風邪によるとのこと。行動日程前半は風邪による微熱の影響大きい。

おわりに

 ヨーロッパアルプス4000m峰やニュージーランドで行ってきたような登山・・夜明け前に氷河を駆け上り、朝陽を浴びながら岩と雪のリッジを登攀、そして登頂。氷河をかけ下り、その日のうちには下山してしまう・・を6000m以上でやってみたかった自分には、まさにうってつけのルート。しかも最終キャンプまでは特別な危険もなく高所順応に専念でき、下山は安全なノーマルルートが用意されているという申し分なしの山でした。

 登頂は思い描いていたほど格好よくできませんでしたが、高所順応については、短期間でほぼ自分の理想どおり運び、快適に登攀できました。会員の百瀬氏、河竹氏にはいろいろ無理を聞いてもらい、またアフタークライミングも快適に過ごさせてもらい感謝しています。いつかまた、あの巨大なビーフに食らいつきながらアルゼンチンワインをたらふく飲みたいものです。