Climbing Mate Club

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Chronicle

Mt.Cook & Mt.Aspiring

Mt.Cook(Zurbriggen稜) & Mt.Aspiring(South West稜) in NewZealand 登攣 覚書および 考察若干

アックスイメージ
メンバー 横山 丸山 久住
日程 1998年12月13日〜1999年1月1日
記録 丸山武志

 ここでは内輪話を「メモ」程度にありのまま書き残して、合わせて若干の考察を加えてニュージーランド(NZ)登山を考える方への参考になるように努めたいと思います。

A 登山以前のなが−い物語

〔航空券〕 名古屋発12/13

 12月NZへの登山の話は、かなり早くから久住氏に持ちかけられていたのに、小生が ぐずぐずしていて、航空券を申し込んだのは9月下旬になってしまった。旅行社はAirRink社で、 ヨーロッパで2回利用したので安心していたのですが、シンガポール航空で9万8千円(クライストチャーチ往復 )などアジア経由の格安航空券はこの時点で埋まっていました。出発の12月13日前後は、 キリスト教圏の人にはもうクリスマス休暇で帰省などの移動が多く、逆に帰国の正月2日から 7日までは日本人のアジアからの帰国で満席ということでした。もっともこれは便数の少ない 名古屋空港の話で、成田ではもう少し融通がきくと思います。結局旅行社の油断(不手際) もあって、キャセイ航空(香港)のシドニー経由+NZ航空クライストチャーチの変則切符で 13万7千円、帰りの香港一泊など諸費用含めて15万2千円。ちょいと高めについてしまったが、 年末になるとこの倍はかかるので要注意。なお帰国は1月1日、これは名古屋に着いてから 空いていて便利でした。とにかく早めの申込みを!
 名古屋空港は車で行くには便利ですが、冬は何があるかわからないので、余裕のある日程を! 当日、飯田一中津川が事故で全面通行止め。清内寺経由でハラハラの到着。この区間は その1週間前も霧で通行止めがあり、松本発を30分早めたのが幸運。

〔荷物が釆ない〕12/14

 シドニー空港の造りはちょっと変で、荷物の受取の前に、出国手続きをするように なっている。我々のような乗換の者は、乗換カウンターで次の航空会社の乗船手続きを 行えるのだが、荷物の方はシドニー止まりになっているので「大丈夫か」と念をおし 辞書を引き引き押し問答。係員は何やら電話をかけてくれ大丈夫だと言う。そこまで言うならと 一抹の不安を残しながらいぎクライストチャーチヘ。3時間後、クライストチャーチ空港の ターンテーブルには、うけとり手のない荷物がいくつか回転寿司の売れ残りのように 空しく回っているだけで、われわれのザックは決して現れることがなかったのである。 クライストチャーチ空港では早速シドニーヘ連絡をとってくれ、次の便で送ってくれる とのこと。その夜1時すぎ、我々のザックはタクシーで宿泊先の「バックパッカーの宿」 に届けられ、事なきを得た。NZ国の親切には感謝!

〔移動手段 レンタカー〕12/15

 1か所で腰を落ちつけて登山するなら、公共の交通機関(バス)を使ったはうがよいが、 辺都な山岳地帯を移動するにはレンタカーが便利。日本と同じ右ハンドル、国道1号線でも 市街を出れば車もまばら、さらに国道6号線に入るや、羊の大群に遭をふさがれ小休止。 こんな事情なら車好きの横山氏が黙ってはいない。一般道を時速100キロでぶっ飛ばす のであった。当初大手(ハーツ)に日本で申し込んだが、先にNZへ渡った久住氏が現地の 安い会社を見つけ話をっけておいてくれた。日本製中古車(ブリメーラ1800cc)・約2週間で570ドル(′1$=63円)。

〔クライストチャーチで〕12/14−15

 久住氏推薦のバックパッカーの宿「Foley Towers」、1室3ベッド(寝袋必要)、各部屋の隣に トイレとシャワー、美しい中庭を囲んだコッテージ。これが1泊$15(1000円)。 スーパーで食料を買い込んで、共同の冷蔵庫へ。清潔な台所で食器も万全。 山の前後計3泊したが、浮いたお金は食事代へ。これも$15で食い放題の「OXFORD ON AVON」へ。 最終日、食いすぎて苦しくのたうちまわっていたのは誰でしょう。
 山での食料はスーパーで。おすすめは乾燥味付けパスタ。スープの素。箱入りワイ ンも仕込んでおく。登山用品店でガスカートリッジも購入するとよい。(今までMt Cookなどの山小屋には、灯油コンロと灯油が備えてあり自由に使用できたのが、 今年から急遽中止になった。我々はクック村のガイド事務所で買った。EPI ok!)

B いざMt.Cookへ

〔クック村〕12/15

Christchurch 11:30−−−16:30 Mt.Cook vil.

 さびれた上高地みたいな所で、一軒のホテル(ハーミテージ)、いくつかのシャレーがひ そりと自然に溶け込むようにたたずむ。雑踏は観光バスが着いてアジアからのお客が がやがや下りる時だけ。
 国立公園事務所で登山届けと山小屋(Plataeu Hut)の申込み。晴天続きで30人定員 の26人が埋まっていた。1泊1人$18。下山してから支払う。ここで天気情報得る。
 ガイド事務所。天気、氷河の情報。日本人スタッフ(ワーキングホリデ−)複数あり。
 マウントクック空港。明日のフライト予約。スキープレーン(3人のり)$270 一人$90(3人パーティーが有利)。
 NZ山岳会の山小屋UNWIN HUT。直接寄って申込み。$20(1人) キャンプ場は遠くて、設備もあまりなし。小屋は温水シャワーに自炊施設万全。

〔Plataeu Hutへ〕12/16

Mt.Cook vil.−−−Grand Plataeu−−−2452m peak

 朝霧が出ていたためか2時間遅れで出発(11時)。わずか10分で氷河のど真ん 中・グランドプラトー(Grand Plataeu)へ。おもちゃのようなスキープレーンがMt. Cookをせりあがるように急旋回して大雪原を滑るように着陸。下山者が近くで待機し ていて、我々と交代で乗った。ここから小屋まで15分、ほとんど平らな雪原のトラ パース。トレース上にはクレバスなし。
 近くの雪山Glacier Domeへ登る。さらに次の2452mのピークヘ。ちょっとした 岩登りとMt.Cook,Mt.Tasmanの偵察に恰好。ルートをよく観察して、ルート図をつく るに良い所。「ドーン」と発破工事のような響き、数十分に一度の大雪崩。展望は申 し分ないのに不安をかき立てる音だ。

〔Mt.Cook登攣〕12/17

1:20小屋−−−Zurbriggen ridge−−−Linda氷河合流−−−14:30山頂15:00−−−Linda氷河上部18:00−−−21:00氷河屈曲点−−−0:30小屋

 時間がかかった理由は主に次の2点だと思われる。

1. 氷河の雪の状態。標高が低く、低緯度の氷河のため、気温が高いとすぐに雪がく さる。この日は天気予報でFreezing Lineが3200mまで上がると の事。そのため取り付きまで膝までもぐるラッセルを強いられた。カリカリとアイ ゼンを効かせてのぼるイメージとははど遠く、疲労も大きい。また下山の氷河も表 面が固く中がふわふわの、いわゆる最中(もなか)状態で時間が食った。

2. 取り付きまでの下見が不足だった。暗いうちに出発するので、できれば前日にト レースを付けておきたかった。取り付きがセラック帯で妨げられている今回のリッ ジでは暗闇で迷路にはまったも同然で、時間的にも体力的にもロスが大きかった。

 この他Linda氷河のクレバスの状態も手間取る要因だったが、これはいつだっ てひどいのだろうし、季節が進めば(1、2月)もっとひどくなり、もっと迂回を強 いられるだろうから、我々だけの時間的な遅れの原因にはできない。しかし氷河とい うものに慣れていない我々には、一つのクレバスを解決したかと思うとまた次のクレ バスが難題を吹き掛けてくる下降は、登頂の喜びも吹き飛んでしまう苦しみの連続で あった。Plataeu Hutに着いて「思わず子どもの顔が浮かんで涙ぐんだ」という日本 人パーティーの報告は真に追っている。スノーブリッジを踏み抜いたり、クレバスに はまったりの技術的な面の不足もないではなかったが、それよりもいつ果てるともな く現れるクレバスをものともせずに登ってくるNZ人の精神的肉体的な強靭さには頭 が下がる。ともあれ、天候が味方して登頂できた幸運を素直に喜びたい。

〔沈殿4日〕12/18 19 20 21 12/22下山

 体力消耗の後は免疫力が落ちるのか、11月より引いていた風邪が復活、おまけに 日焼けした首や耳が痛い。横山氏いわく「敗残兵のよう」な顔で3日間寝込む。幸か 不幸か翌日より天候が崩れ、特に翌翌日からは「gale force wind」 と呼ばれる強風が吹き、3日間小屋のメンバーは同じ顔触れで缶詰状態。数十m先の トイレに行くのも完全武装で決死の覚悟。溜めて溜めていよいよ行くときは、大も小 もまとめて出してくる。後は飲んで食って寝るの繰り返し。テントなら苦しい。 小屋の宿泊名簿に3月に今年唯一の日本パーティー(札幌山岳会)の記録があったが 「今日で6日も閉じ込められている。一人は妻の名を叫び、一人は酒と煙草のきれた のをわめく・・・」のくだりは笑えるが、状況をよくつたえている。
 21日はここでは夏至、晴天だが風強くヘリコプターは飛んでも接近できず、一日 待ちぼうけ。22日なんとかヘリにて下山。ヘリ$96(1人)。

C Mt.As piringへ

 

〔常に駒を進める〕12/22 23

Wanaka−−−Raspberry flat−−−Bevan col 17:10−−−Bonar氷河−−−18:40 Colin Todd Hut

シャワーを浴びてゆっくり登ってきた山を見返す、そんな衝動を抑えて、一路Mt Aspiringの登山基地ワナカヘ出発。レンタカーの有利さ。夕方にはワナカに 到着、国立公園事務所で情報収拾。明日からも天気良好。キャンプ場のキャビン泊。 一人1泊$10。スーパーで購入のトマトなど野菜を存分に食べて人心地つく。
 ヘリは翌23日午後飛ぶかも知れないとのこと。23日午前中に食料買い出し。ヘリの 乗り場は車で1時間半も先のRaspberry fla t.午後4時フライト。人 生はじめてのヘリコプターに2日続けて乗るとは。U字谷の中を飛びつづけ、わずか な時間で氷河の淵にある Bevan col に到着。標高1851m,雪解け水 が音を立てて露出した岩の間を流れる。黄色のキンパイ(larg fethery−leaved bu− tter cup)が点々と咲き、気持ちがぐっと和らぐ。小屋まで氷河を横切って1時間半。

〔Mt.Aspiring登攣)12/24

Colin Todd Hut 3:00−−−−5:00 SOUTH WEST RIDGE 取り付き下−−−6:20 RIDGE上−−−9:50上部クーロア−ル−−−10:50山項 11:30−−−12:30 NORTH WEST RIDGE col−−−18:20 Hut

 暗い中にヘッドランプをつけて氷河を横断、アイゼンをきしませてダブルアックスで 急な雪壁を登るうちに朝日が頬を染める。まるでレビュファーの世界を体現しているか のような愉快な登撃。足跡ひとつない鋭角の南西稜をまたげば、体の半分を朝日が赤く 染め、心地よい温もりを感じる。下部に1か所岩の露出部があったが難なくこなし、規 則正しいリズムで延々とリッジ登撃。上部クーロアールから下を覗けば、両足の間には 1500m下のBonar氷河まで何もない。カッティングした氷のかけらが音も立てずに 滑り落ちていく。期待通りのとがった山頂からは、1週間前に登ったMt.Cookも 見え、感慨ひとしお。クック山につづき、他にだれもいない我々だけの山頂。
 北西稜はコルまで快適、雪の状態が良いと判断して、西側ランペを下る。北西稜の上 りに使われるのだが、これが一筋縄ではいかなかった。

①ハング気味の急斜面のため、下部にクレバスが開いているのかどうか上からは見え ない  ②朝の固い雪なら渡れたスノーブリッジやクレバスが緩んで全く支持がきかない

 精神的には消耗しながらも、一つ一つ根気よく解決していく他はない。なお北西稜を 登ってきて途中で出会った2組のパーティーは、帰着が真夜中であった。

〔氷河の世界から下山〕12/25 26

25 Colin Todd Hut 5:50−−−Bonar氷河−−−Mt.French肩(Quarterdeck)11:00−−−14:00
26 French Ridge Hut 8:20−−−11:00Matukituki River flat12:00−−−17:00Raspberry fl.

 クック山はガイドに頼むと「Expedition 6days」($2600、16万) となっており、単なる登山というより遠征の様相を呈している。しかし、気象条件の厳 しさはあっても、ヘリやスキープレーンでベースの山小屋を往復してしまえば、やはり ちょっとハードな登山というに過ぎない。ところが登山者の中には、イングランドの4 人やNZの2人のようにベースの小屋から歩いて下山する者もクック山にはいたのであ る。そこにやや引け目を感じていたのと、山麓のハイキング(NZではトランピング) が素晴らしいという久住氏の勧めで、アスパイリング山の帰りは歩いて下山することに 決めてあった(ヘリが高すぎるということもあるが)。
 結論から言うと下りは是非歩くべき。素晴らしい自然の変化を肌で感じることができ 登山そのものに彩りと深みを与えてくれる。見渡す限り白く、照れば灼熱の氷河はまさ に無機物の世界。そこからはじめて草の生えた岩稜に下り立った時、クレバスの恐怖か ら抜け出た安堵とそこに広がる多彩な色彩の山肌に、生き物としての喜び、生命の讃歌 を感じる。フレンチリッジ小屋はまさにそんな雪線の直下に立つ、素晴らしいロケーシ ョンの小屋であった。タソックと呼ばれる茶色の草の原に白いデイジーが咲き、対岸に 氷河の山々。振り返ればアスパイリング山まで見える。氷河の末端からU字谷にかけ、 雪解け水が滝になって流れ落ちている。時々セラックが崩壊して大音響とともに雪崩が 静けさを破る。小屋には「ケア」という大型のオウムの仲間が飛来して人を恐れず寄っ てくる。時折草花の合間を黒い蝶が飛び交い、タソックの草原をそよ風がふきわたる。 天国と地獄の境目、姿婆に帰ったという実感!

(帰国まで〕

12/27 Wanaka 滞在(久住、横山両氏sky diving)
12/28 Wanaka 8:00−−−12:30 Fox−−−15:30 Hokitika(クスマン海に触れる)
12/29 Hokitika 8:50−−−1400Christchurch
12/30 Christchurch 滞在
12/31 Christchurch−−−Cydey−−−HongKong(横山・丸山のみ帰国)
1/1 HongKong−−−Nagoya−−−Matsumoto

〔終わりに〕

 Mt.Cook登頂は久住氏の長年の夢だったようですが、小生にとっても 初の海外旅行(NZ)以来、気になる存在でした。そのクック山に登れ、更にMt. Aspiringという秀峰を教えてもらい登頂までできたのは、久住氏の何から何 までものお膳立てがあったればこそでした。また氷河の山の中で、困難な登攣の最中 も経験と技術を惜しみなくご教示いただいた横山氏には、なによりそのmotivationの 強さに圧倒されました。両氏にこの場をお借りして感謝いたします。