96年ヨーロッパ合宿
合宿メンバー | 伊藤・永沢・吉井・甲斐・友藤・原田 |
・河竹・岩瀬・下條・丸山武・杉本 | |
日程 | 7/17〜8/13 |
記録 | 河竹 以下 河竹の行動記録 |
モン=ブラン単独
7/27(木) 晴れ→曇り
ホテル発(0635)=ニ=デーグル発(0905)−テート=ルース(1055)−グーテ小屋(1400)
SAL便で送った荷物が届かなかず、この日までずれ込んでしまう。はじめは暖かかったが、 テート=ルース付近で急に寒くなったので、裸になって着替えると、それを見た近くの外人が『OH! SAMURAI!』と叫んでいた。 小屋ではフランス人の3人組と仲良くなり、ワインをおごってもらった。
7/28(金) 霧→雷雨
小屋発(0250)−ドーム=デュ=グーテ(0430)−ヴァロ小屋(0530)−(5:50退却決定) −グーテ小屋(0700)−テート=ルース(0805)−ニー=デーグル(0910)
4時過ぎからガスって来て、どうしようか考えながら登る。ヴァロ小屋に着いた時点で夜が明けてきて、 少し西の空が見えてきたので見ると、積乱雲が10個以上あったので、こりゃいかんわいと思って下る グーテ小屋の下で雷雲に囲まれ、地響きとヒョウに悩まされながら走って下る。 以上。
ペイニュ針峰 パピヨン稜北稜(Dsup 300m) with吉井
7/29(月) 晴れ
プラン=ド=レギーユ発(0755)−取り付き発(0940)−北稜8P−終了(1250)−パピヨン稜3P−終了(1330)−懸垂下降3P−取り付き着(1430)− プラン=ド=レギーユ着(1525)
やっとトレーニング開始。空荷で行ったので楽勝だった。駅でのビールはうまかった。
アドルフ=レイ=ピーク『サリュアール・ルート』(TDinf 300m) with吉井
7/31(水) 晴れ
ミディ駅発(0800)−取り付き(0900/0930)−終了点(1610/1630)−懸垂下降5P− 取り付き(1830/1900)−ミディ駅着(2230)
今回は次の目標のトレーニングとして全装備担ぐことにした。が、荷物を減らすつもりがプラブーツ、ツエルト、コンロ、 アイゼンなどで12〜3㎏はあった。反省。この辺の壁は立っていて、ガッ!ガッ!という登りなもんで、重荷だと実に体力を消耗する。 ピンはほとんどなく、そのおかげでルートファインディングが面白かったが、こんな小さなルートでコースタイムをオーバーしてしまい、 ジェルバズッティ=ピラーは間違いなく2日かかるだろうな、というのが予想できた。しかし、今年の天気で2日晴れることなんて…。 やっぱり実力不足だった。下降ではロープが引っかかり、夕暮れも近く、半分発狂して「オ**コ−!」と放送禁止用語を連発しながら降りてきた。 ミディの駅内でビバーク。便所の前は暖かくてとても快適だった。
グラン=カピサン「スイスルート」を間違えて「オー・ソレ・ミオ」に行って敗退 with吉井
8/8(木) 晴れ
ミディ駅発(0700)−バレ・ブランシェBC発(0800)−取り付き発(1100)−オー・ソレ・ミオ3P −敗退決定(1300)−カピサン基部(1440)−BC着(1800)
アプローチは思っていたより長かった。ビバーク覚悟で突っ込むが、3P登ってルートを間違えたことに気づく。 目指すルートは遙か遠くだった。先行者がいなかったといっても、言い訳にならんね。壁の大きさに惑わされました。はい。
ラシュナル=ピーク「マリリン=ルート」(Dsup 220m) with吉井
8/9(金) 晴れ
BC発(0535)−取り付き発(0720)−終了点(1200/1245)−BC(1330/1410)−ミディ駅着(1520)
気を取り直して最後の登攀に向かう。シュルントがでかく、通過はびびった。登攀自体はプラブーツ、アイゼンを背負っても快適だった。 これで今回の山行は全ておしまい。あ〜あ。