Climbing Mate Club

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Chronicle

大谷不動・本流 左側壁

アックスイメージ
メンバー 馬目 弘仁(33)、佐藤 映志(26)
期間 2003年 1月18日
馬目

1. 次の課題へ

 大谷不動は私の住む松本からはかなり近く、最近は身近な日帰りゲレンデという感覚で通えるようになってきた。本格的に通い出してまだ1シーズン目なのだが、クラシックルートのほとんどを登ってしまった。そろそろ自分で課題を探さないといけないかなあと感じ始めていた。だが幸運なことにここには誰しも目にしている未踏の氷柱が2本ばかりあった。それは、本流のF1を越えてすぐにある左側壁の氷柱(お社のある洞穴状のハングに垂れ下がる氷柱が非常に魅力的なルート)と本流F1手前のルンゼ奥に垂れる黄色いシャンデリア(出だしの前傾壁が非常に困難に見えるヤバそうなルート)だ。これ程に見栄えのする自然なルートが残っていることが信じられないくらいだ。やるとすればかなり手ごわいミックスクライミングになるだろう。次の課題はこれだ。これを見逃す訳にはいかない。

2. スタイルの問題

 最初のトライは2002年の2月、本流F1手前の右側壁(現在も継続トライ中)からだった。ピトン類を大量に揃え、ボルトレスのグランドアップというスタイルで挑んだ。結果はボロボロの岩(土!?)に歯がたたず断念せざるをえなかった。アックスのかけかえで登り始めたのはいいが、130度位にかぶったボロ壁をいきなり7m程もランナウトするはめになってしまった。一番堅そうにみえたリスに必死に片手でナイフブレードを打ち込み、祈るような気持ちでローワーダウンをした。私もビレイヤーの永沢さんも「かなり本格的にやばかった........」としばし脱力してしまったものだ。この最初のトライで得た教訓は「ボロ壁をピトンを頼りにフリーで登ろうとするのは自殺行為」ということだった。初めからもう少し理性があればよかったのにと反省した。

 さて、それから数ヶ月がたったがなかなか忘れることは出来なかった。諦めるにはあまりに魅力的すぎる。登るためにはプロテクションをなんとかしなければならないのは身をもってわかった。ボルトが必要だ。

 それでもボルトを打つことには当初抵抗があった。自分の腹の中は半ば決まっていたのだが自信がもてなくて幾人かの友人に意見を聴いてみた。結局は自分達で熟考し、決断することだと思う。その結果行動に移すならば、全てのクライマーに対して責任をとる義務とクライマーとして裁かれる覚悟をしなければならない。私は「スポーツルートを拓く」と決断しボルト設置を実行することにした。

 同年の秋も暮れ、参拝の人々もいなくなった頃の11月末に右側壁に、左側壁には12月にボルトを設置した。壁の上にまわり込むのはとても大変なので、ボルトラダーをつくりながらの作業になった。電動ドリルで壁に穴をあけてみると、堅そうに見える部分でも岩が危なく柔らかいことがわかった。要所には長めのケミカルアンカーを、少し岩質に不安のあるところには細めのオールアンカー、前進作業用にはリングボルトをそれぞれ使用した。ピトンも積極的に残置プロテクションにするつもりだったが結局1本しか使えなかった。岩質にビビッてしまったためにボルト間隔が近くなってしまった点と作業用リングボルトを数本撤去出来ずに残置してしまったことが心残り(再登者に酷評されてしまうかもしれない)だが、なんとか下準備は終わった。

3. 2003年1月18日 トライ!

 ボルトを設置しおわった段階で、最初のトライは左側壁にしようと決めていた。このルートの看板、垂れ下がる氷柱は取りつきから見上げるととてつもなく離れて見える。アイスコーンは壁から6〜7mは離れている。ボルト設置時に間近から観察した時の感じでは、乗り移れそうなポイントから2m程の間隔ではないかと思えたのだが.....。今更ながらにあの時距離をよく測っておけばよかったと後悔した。昨晩は緊張してあまりよく眠れなかった。ひさしぶりに恐かった。「乗り移った瞬間にあの氷柱が折れたらどうなるのだろうか......」とか「あのランナウトに精神が耐えられるだろうか?」とまじめに悩み考えた。取り付き点までパートナーの佐藤さんとはほとんど会話しなかった。自分が極端に緊張していることは十分すぎるくらい伝わっているだろう。ため息まじりに黙々と登攀準備をした。

 さあいよいよ1Pのビレイ点に来たのだ。しばし深呼吸した。やるなら理性を失ってはいけない。クールに決めるべきだ。「無理はしないようにするよ!」と佐藤さんに声をかけてから登りだした。

 2P目、バンドからボロボロの氷柱へと登攀続行を決めた時、人生そう何度もないであろう「覚悟を決めた」という瞬間だったと思う。たいして難しいムーブではないとはわかるのだが......。目の前に浮いている氷柱はおぞましいくらいにボロくて薄い。自分の心拍を感じられるまで頭を冷やしてから、「いくよっ!」と佐藤さんに声をかけてアックスを振った。

 落ち口から雪壁に抜け出られた時、強烈な開放感に浸されてしまった。何度か雄叫びをあげた。これは思い出に残るルートになるだろう。しばらくして上機嫌でフォーローしてきた佐藤さんと感動をともにした。パーティーとしてもオールフリーで成功したし、なんというか、とにかく幸せな一時だった。おおいに満足だ。

4. ルート概要

再登者の楽しみを損なわないようにと考えなるべく簡単にしたいと思う。 本流のF1を越えると、左側壁の垂れ下がった氷柱がみえる。洞穴状にえぐれたハングの基部に不動様の小さな社がある。社の右側の潅木からバンドに上がり右に3m程トラバースしたところがビレイ点(ボルト3本)である。

1P,35m,Ⅵ+
ラインはほぼボルト沿い。最後のベルグラに突っ込むところではアイスフックがあったよいと感じた。ビレイ点はハング下のバンドを寸断している氷柱に取れる。
プロテクション:ボルト類が約10本、バガブー1本(ハンガーを含め全て残置)
ビレイ点はスクリューとアバラコフ

2P,30m,Ⅵ
ビレイ点としている氷柱をまたぎバンドをトラバースする。バンドから氷柱に乗り移る。。最後のアンカーは立木で取れる。
プロテクション:ボルト類2本、スクリュー1本

* 注意点
2003年2月8日にこのルートをみると、なんとポッキリと根元の部分から氷柱が折れてしまっていた。氷柱の形状変化が激しいようである。また大量の降雪時にはルンゼ上部からの雪崩にも気をつけたい。