Climbing Mate Club

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Chronicle

再び、スイスアルプス登攣記

ヴァイスホルン(東稜)とダンブランシュ(南稜)

カムイメージ
メンバー 久住 丸山
日程 2001年7月19日〜8月4日
記録 丸山

 CMCに入って8年、この間に2度のアルプスとニュージーランドでの山行に参加することができました。海外での勝手がわかってきて、自分のやりたいようにできるようになってきた分、だんだん自分の指向が定まって山行の幅が狭まってきたのを感じます。今回の山行はその極致とも言えます。似た指向の久住氏と計画を立てたとき、私の提案はヴァイスホルン、ダンブランシュそしてグランコンパンでした。さすがに久住氏にも「グランコンパンにいたっては、ちょっと渋すぎますね」と却下されましたが・・

準備

 目標の山が決まったのが今年3月、4月には航空券などの手配(エアーリンク)をして、山に関する情報収集。互いに遠隔地に住むため、トレーニング山行は各自で行うが、何度かは一緒の山行を組むよう日程などの調整をする(メールで)ことを確認。

 4月 八ヶ岳(旭東稜)・雪上訓練(鹿鳥槍東尾根第二岩峰尾根〉
 5月 春合宿(剣岳八つ峰)・谷川岳(東尾根・烏帽子岩南稜)‥合同
 6月 北岳(バットレスdガリー奥壁)
 7月 富士山・針の木岳(スバリ岳中尾根:割愛)

 結局二人でトレーニングできたのは谷川岳だけでしたが、残雪期の東尾根は、雪のルンゼ・Ⅲの岩場のアイゼン登攣、最後は急な雪稜という目標山岳の想定によく合致していました(規模はともかく、ちょっと薮が出過ぎでしたが)。
 基地となる山麓の村(ヴァイスホルンではランダ村、ダンプランシュではレゾデール村)の様子や山小屋情報はインターネットで集めることができましたが、片方はドイツ語のみ、もう片方はフランス語のみで図書館で借りた辞書を片手に苦労しました。ただしスイスはどこの僻地の村でもホームページを開いており、
  http//www.村(町・市〉名.ch/ 
でアクセスできることがわかりました。たとえばレゾデール村の場合、http//www.LesHauderes.ch/で、村のホテルからダンブランシュの山小屋料金までもわかります。また久住氏を介してブナの会の三浦大介氏からも貴重な情報を得ることができました(あとでわかったのですが、ダンブランシュ小屋には97年より01年の我々まで宿泊した日本人はこの三浦夫妻以外いませんでした)。

ヴァイスホルン登頂記

 スイスのチューリッヒ空港駅で久住氏と落ち合ったのは計画通り7月20日朝8時前。私は松本から夜行で名古屋空港に向かったので、2晩続けての寝不足の上、雨模様の天気になかなかはずんだ気持ちになれない。一方の久住氏も身辺上いろいろあり、とても楽しいクライミングどころではないようだ。それでもツェルマットに近づくにつれ、天候も回復し、待望のマッターホルンも見え、だんだんその気になってくる。宿は駅近くのその名もバーンホフホテル。最上階にドミトリーがあるが、今回はちょっとはずんでツイン。インフォーメーションセンターで天気予報の確認。明日より2〜3日晴れマーク。すぐ翌日の入山を決定。山小屋に電話予約(久住氏)。ヘリコプター救援の保険REGA(二千円)。行動食の買いだし。これだけ済ませてやっと待望のテラスでのひととき、ワインとビールで久しぶりの再会と明日からの山行成功を祈念し乾杯!雪のマッターホルンが見え隠れ、夜は星空。

7・21(土)

 6時の始発で2つ隣駅のランダへ。この日はこの駅から標高2900mの山小屋まで1500m登らねばならない。ガイドブックには「うんざりする登り」とあったが、ハイキングコースとしてよく整備されており、まばらで明るい唐松林やそれを抜けると不意に開ける4千m峰の大パノラマそして延々と続くお花畑など飽きる間もない5時間の登りで氷河直下のヴァイスホルン小屋に着く。
  今年のスイスは天候不順なのか、ずっと雨雪で、マッターホルンではガイド登山もなされてないということだ。ヴァイスホルンも今日現在アタックしているパーティーが今年の初アタックらしい(結局この日のアタックは失敗で夕方下山して行った)。
  山全体が見渡せる氷河まで登ってルートの偵察。雪が多くルンゼなどは快適に登れそうだ。午後遅くハイカーも含め続々と登ってきたが、明日のアタックは我々を入れて4パーティー8人らしい。
  小屋の中の写真を見ながら、片言英語でルート談義。こちらの想定とほぼ同じで変な安心感。夕食結構美味くて久住氏もようやくご満悦。

7・22(日)

 2時起床、朝食。親切にも山小屋の主人が起こしてくれる。3時満点の星空の下出発。氷河の中をヘッドライトで進む。いっものことだが欧米人は早い。ところが最初の岩場で先行パーティーはかなり苦労している。暗闇にバラバラ石を落としながら右往左往。ここはそんな場所ではないはず、左右照らしてみれば左に雪のルンゼ。急だがひと登りで越え、その先を久住氏に偵察してもらい、バンドをたどって簡単に上部の雪原に出られた。彼ら、ルート研究はあまりやってないね。雪は固くしまってとても歩きやすい。例年だと雪がなくて岩稜を忠実に登らねばならないのだが、このように安定した雪があるときは雪上のほうが断然早い。ヴァイスホルン東稜へ取り付くための支稜の直下まで氷河の中をトラパースして楽々到着。ここから『朝食場』と呼ばれる東稜のテラスまで2・3級のミックスというのがガイドブックのルートなのだが、すぐ右側の安定した雪のルンゼは昨日の下見通りにまっすぐに続いているのでこれを利用する。この辺はニュージーランドでの経験が役に立つ〈結局下山時にはすべてのパーティーがこのトレースを利用した)。ほどよく縮まった雪にアイゼンが気持ちよく効きぐんぐんと標高が稼げる。

 「朝食場」に見えた人影が我々を見て下ってきたが、なんと難しい北稜を登って頂上でビバークして下山中であることがわかった。今年の一番乗りということか。これでトレースが頂上まで続くことになり、ちょいと安心やら寂しいやら。「朝食場」からいよいよ東稜の核心部。いくつもジャンダルムと呼ばれる尖塔をひとつずつ超えていく。完全にミックス状態のⅢをふくむ岩場を越えると、ふかふかの雪のナイフリッジ。ジャンダルムと雪のリッジが40mロープいっぱいで交互に現れる感じだが、それが延々と繰り返される。帰りのことを考えると気が滅入るが、我慢して登る。ほどほど嫌になったころ、最後のジャンダルムを越え、急な雪壁となる。時すでに11時。マウントクックの最上部を思わせる広大な雪壁は時にはクレバスが横に走り迂回を余儀なくされ、時には氷が露出してダブルアックスを必要とし、思っていた以上に難儀だ。高山のせいか時差(7時間〉のせいか眠くてたまらない。まだスイスについて3日日なのだから無理もない。

 どうにか山頂に着いたのが午後1時15分。山頂の十字架でセルフビレイを要するほど狭く尖った頂き。二人分の越し掛け状のビバーク跡。4505mの頂上に越し掛けただけのビバークはさぞ寒く苦しかったことだろう。しかしマッターホルン、ダンブランシュをはじめ展望は素晴らしいの一言。R.ゲーデケのガイドブック「アルプス4000m峰」には次のように書いてある;「アルプス中(地球上といってもよい)最も美しい山」とたたえられ、しかもこれに対する反対の声が聞かれない山。しかも自然が損なわれていない素晴らしい山岳地帯にある。好天にめぐまれればお祭りのようなものだ。ああ、いまはお祭りの最中なんだ!

 雪壁部分の下山は難なく終え、距離にして約半分の岩稜の下山 さすがにアイゼンつけて岩場をコンテで下るのは恐い。時間はかかるが交互に下る。懸垂2回。いずれも40mロープふたつ折りで足りる。残置スリングは数少ない人工物として1箇所だけにあった。他にはピトンを1個と最初のジャンダルムに懸垂用の鉄杭を2個見かけたが、それ以外には人工物は見なかった。ランニングビレイは主に自然の岩とキヤメロット。0.5、1それにマイクロ1本を多用した。「朝食場」着18:30。あとはルンゼの中のトレースをつかって、腐った雪の中を一目散。ヴァイスホルン小屋着20:45 。明るいうちでよかった(サマータイムのせいでまだ充分明るい〉。

 小屋では「Congratulation!」と握手攻めのちょっとしたセレモニー。遅い夕飯をつくってくれる。スパゲッティーだったが、ちゃんとスープから出してくれるところが心憎い。なおこの時久住氏とワインを一本頼んだが、グラスは小屋設立100周年を記念したもので、きしくも本年はそれに当たり、食後グラスは記念にもらうことができた。まさにお祭りのような山行と相成った。

いざダンプランシュへ

7・24(火)

 ヴァイスホルンから下山後、ツェルマットの天気予報はこれからも晴天が続くことを示していた。登頂の余韻に浸るまもなく次の目標のダンプランシュの基地、エランの谷のレゾデールへ。シオンまで鉄道、ここからは黄色のポストバス。車窓の風景からも、だんだん本当の田舎らしくなっていくのがわかる。インフォメーションはお昼休みなので、バス停近くのガルニへ当たりをつけて飛び込む。ツインー人当たり朝飯つきで三千円弱。部屋の窓からはダンプランシュの秀峰が見えるし、内装も悪くない。困るのはフランス語オンリーで英語が得意の久住氏が渉外係を放棄してしまったことだ。通じないことでストレスがたまるのだそうだ。英語もフランス語も通じない小生には別段変化がないのだが‥。おかげで「山からおりて来るまで余分な荷物を預かってくれ」というのは、小生が頼むことになってしまった〈身振り手振りで通じるものだ)。まあとにかく静かな本当の田舎の村だ。民族衣装を普段着にするお婆さんがゆっくり歩いている。夜は満点の星、ダンプランシュのシルエット!

7・25(水)

 バスの終点フェルペクル(標高1700m)からルシエール小屋(ダンプランシュ小屋)(標高3500m)まで。ヴアイスホルンの疲れがとれない身にはこれが核心ではないかと心配していたが、素晴らしいアプローチで、全くの柁憂であった。夢の花園と思わせるほどのお花畑と対岸の氷河。何百メートルあるのかわからないその氷河の末端が、時折崩壊して、雷鳴のように音をたてて雪崩去って行く。天国と地獄。お花畑の果てに1軒の山小屋風の建物。これを風景の句読点と言うのだろう。

 そのブリコーラの建物まではハイキングルート。そこから先はフェルペクル氷河・マンツェト氷河のサイドモレーン上をたどり、さらに氷河を横切り、岩稜下の小屋まで雪原を登る。振りかえればドリュのようなエギュー・デ・ラツァの尖塔が奪え立っている。晴れていれば美しい山岳風景だが、130年も前、ウィンパーたちはこのブリコーラからダンブランシュにアタックし、時ならぬ風雪に凍傷を負ったあと、この氷河をつめて、反対の谷のツェルマットに出ようとしたが、霧のためルートを失いブリコーラまで戻っている。現在ルート上には時折ケルンが積まれ、青と白のまだらに塗り分けた競技スキーのポールのような棒を目印に立ててあるが、それでも広大な雪原とモレーンの中なので、濃霧の場合などは特に慎重さを要する。

 小屋では目の澄んだ笑顔の素敵な若い女性2人が迎えてくれる。いくらか英語ができ、学生のバイトだという。いろいろな人がくるので楽しいらしい。この日はスイス山岳会の同窓会のような集まりがあるらしく、シャフトが1mもあるようなピッケルをつきながら年輩登山者がおおぜい登って来て、満員御礼状態。しかし夕飯はなかなか豪勢であった。ただし過去に使用した山小屋と違い、環境に対する配慮はスイスらしくないものだった。まず位置が完全に氷河の中にあり、トイレは空中につきだし、すべて氷河に落ちる。トイレの屋根にまで太陽光パネルが設置されているのはヴアイスホルン小屋と同じだが、その電気は雪解け水を常時水洗にするのに用いられ、清潔ではあるが完全垂れ流しである。ボリュームたっぷりの夕食も大量の残飯を産み出し、それをすべて氷河に投げ捨てるので、カラスが寄ってたかっていた。久住氏は翌日の朝食にするの譲ってくれ、と喉まで出かかつたそうだ。

7・26(木)

 朝3時起床。テーブルの上に用意されたパンを食べ、すぐ出かける。快晴無風。千載一遇のチャンス!いきなり暗闇で岩登りだが、前日下見に登ってあるので素早く上の雪のドームに登りつける。薄明の中、マッターホルン、チナールロートホルン、オーバーガーベルホルンなど次々と4千m峰が現れてきて心が踊る。そしてとうとう待望のヴァイスホルンがすっきりした輪郭を見せてくれる。体が慣れてきた上、頂上まで850mだけなので、なんとなく気が楽だ。

 最初の難所大ジャンダルムは左へトラパースして雪のルンゼを直登して越える。これで4千mを越えてしまう。ここから次々とⅢの岩場。岩は堅くて気持ちよい。つるべで数ピッチ楽しんでいると、下から続々と後続パーティーが迫ってくる。その大半がコンテである。明らかにガイドと客のパーティーも含まれるが、そうでない者も多い。ガイドらしき者に「What are you doing?」と詰問されたと久住氏が怒鳴りながら登ってくる。仕方ないので数パーティー先に行ってもらい、対策を練る。先述の三浦氏より、コンテで二人墜死したという情報を得ていること、われわれの力量では日本でなら当然スタカットで登るところであるという認識、郷に入っては郷に従えとは言うものの、日頃練習してきた以上のことはすべきでないことなどの見解の一致を持って、岩場はその後もつるべで登ることにする。実際まもなく到達した核心部のⅢのトラパースとジエードルが大渋滞で、先行パーティーにも追い付いてしまった。

 岩場の上の雪稜はやさしく、9:30登頂。ここもお祭り騒ぎ。遠くに懐かしいモンブランの姿。その手前にグランコンパンが大きくそびえ、やさしく手招きしてくれる(次回はこれだ!)。マッターホルンはやはりひときわ目立つ(人の少ない秋、カラマツの黄集を見ながら登ろう!)。そしてヴァイスホルン(言うことなし!〉。

 30分も大展望を堪能して、ルシエール小屋に戻ったのは午後4時半。夕方はポツポツと雨が落ちる程度の夕立。下山してもバスもないので、もう一泊山小屋で余韻を楽しむ。もちろんビールとワインで乾杯!

その後

 レゾデールのガルニで山の垢を落とした後、久住氏はアローラまでハイキングを楽しんだ翌日、街の雑踏を求めてあわただしく旅立って行きました。私はこのフランス語ばかりで英語さえ通じない田舎の村のレゾデールに何となく親しみを感じて、ぶらぶらしながら数日を過ごしました。7月28〜29日はなんとこの村のお祭り(Festa)で、28日(土)の夜は民族衣装の男女の踊りや若者のブラスバンド、29日(日)は村中に露店が出て、食べたり遊んだりの大騒ぎ。木彫りや化石の店から綿アメの店まで。日本の神社の祭の夜店のようなものがたくさんでました。その晩泊まっていたガルニー階のレストランで飯を食っていたら無口なオーナーが「サービス」とか言ってパンを持ってきてくれました。隣のエヴォレーヌの柑は華やかでクールメイエールのような感じでしたが、何もないレゾデールもなかなか味わい深いものがあります。なにもないと言っても、歩いて数分の村に毎朝焼き立てのパンが買えるパン屋、チーズ工房、スポーツ店(ここの登山靴の種類はすごい!)があり、教会の横にはスーパーマーケット(酒も衣類も)、もちろんインフオーメーションもあります。登山に必要なものはすべて手に入ります。ただし英語はスポーツ店のおかみさんぐらいしか通じません。また日本円を両替するにはエヴォレーヌの銀行まで行かねばなりませんが・・

さらにその後

 帰国が近づきチュ一リッヒに行くと、なんと久住氏に再会。再び今回の登山の成功と「もうアルパインは止める」という久住氏との数々の山行に感謝して「乾杯!」

これから

会員のみなさま、ツェルマットあたりで合宿をしませんか?むかしのCMC はよくみんなで合宿をしていたようではありませんか。バーンホフホテルを貸しきり状態 にして4千m峰を登りまくりましょう。ここは自炊ができて、登山中の荷物の置き場もあ ります。お金のない人は最上階のドミトリー、少しある人は個室(一人三千円くらい)で。 みんなで食材を買ってきてテラスでマッターホルンでも眺めながら食べましょう(食器な ど一切そろっている)。新人の方はモンテローザやドムへ、熟練者はマッターホルン北壁へ でも、中堅の方はどこでも好きなところへ。私はオーバーガーベルホルンとチナールロー トホルンへ。その後グランコンパンへ転戦できたら・・なんて夢を見ています。

参考

(1)費用

 

土産を除いて約18万円、ホテル泊まりでも20万円以内に収まる
①交通費 航空券往復89000円(SQ),スイスカード12600円、スイス内交通費約4000円(スイスカードで目的地の往復は無料)、日本国内旅費13000円(名古屋)
②宿泊費・食費 山小屋(2食つき)約4000円×4泊、ホテル2200円×2泊、3000円×6泊、5000円×1泊、食費〈酒代が多い・行動食ふくむ)

(2)装備

 

一般的日本の春山装備 ただし今回靴は 私は アクのワンタッチアイゼン装着可の軽登山靴を使用。氷河歩きが長くないことと街中でもはくために。別段困ることはなかった。ダンプランシュではガイドもハイキングシューズできているものいた。ただし多くはしっかりした革靴で、プラブーツも結構多かった。
  ギヤはキャメロット(1番以下)が有効だった。アイスピトンはおまもりとしてスクリューを各自1本ずつ持った。ヴァイスホルンではオーストラリア人パーティーが長いスノーバーを2つ持参していた。これが必要なときはおそらく1日では登って来れないだろうが、アイススクリューはおそらく次回も持っていくと思う。ガスヘッドとコッへルは念のため持っていったが、山小屋と連絡が取れた時点でホテルに残置した。ロープは懸垂も考えダブルで用意したが、40ml本で充分だった。アックスは2本携帯したがパーティーに+1でもいいかもしれない(ダンプランシュではみな1本だった)。
  ヴァイスホルンではクレバスがまだ小さくたいしたことなかつたが、季節が進むと結構難渋するかもしれない。時期も勘案するする必要がある。