Climbing Mate Club

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Chronicle

剣岳・八ツ峰Ⅳ稜

アックスイメージ
メンバー 乃村昌広・河竹康之・堀秀雄・丸山淳一
日程 2000年12月28日〜1月7日
記録 河竹
写真 「剣岳八ツ峰Ⅳ稜」

◇ 12/28 雪

 日向山ゲート発0800—扇沢1010—黒四ダム1230—内蔵助出合1430−テン場着1540

◇ 12/29 晴れ

 テン場発0635—ハシゴ谷乗越1040—剣沢1320—Ⅳ稜テン場着1510

◇ 12/30 晴れ

 テン場発(0710)−無名岩峰懸垂地点(0940)—1.2のコル(1210)—(4Pフィックス)—1.2のコルテン場着(1540)

ハシゴ谷からオールラッセル。腰から胸まで。無名岩峰の懸垂は雪壁。降りてから四の沢を250m登りコルへ。
コルから雪壁を登り、P2直下までフィックス。ここでサンナビキ同人と出会う。翌日から合同で登ることにする。

◇ 12/31 雪

 テン場発(0710)−P2(0830)—P5(1240)—P7(1450)—P8のコルテン場着(1800)

P2の登りはハイマツ登りでとても悪い。
P3は四の沢側を巻き、直登する。
P4のナイフエッジは空身でリードなら、そんなに悪くない。
P5の登りは、下から見て右手の雪壁を登る。雪が不安定でとても悪かった。
そこから5m懸垂し、P6(ラクダ岩)のすそをトラバースする。
そこからP7まではナイフエッジ。懸垂を5mして、コルに出る。
ここからの登りは垂直のハイマツ登りで、トップはドライツーリング状態。
次は雪稜で、この辺りで暗くなり、ヘッドランプ行動にはいる。
残り3pは沢を登り、P8とⅠ峰のコルへ。ここでテン場設営。
無名岩峰のコルよりP8のコルまで合計21ピッチ。

◇ 1/1 暴風雪 

 停滞

◇ 1/2 暴風雪

 テン場発(0710)—Ⅰ峰(1125)—Ⅰ.Ⅱのコルテン場設営(1440)

1峰までは5ピッチ。Ⅰ.Ⅱのコルから、Ⅱ峰に向かうルートが発見できず、幕営。

◇ 1/3 暴風雪

 停滞

朝から猛烈な暴風雪。サンナビキ同人は撤退していった。
当会は、好天まで待つことにし、雪洞を掘る。
いい雪洞が掘れて寝たが、夕方になって起きると天井が大きく垂れ下がっており、危険と判断し、再びテント設営をすることに決定。
天気図をとり終わった4時半より、猛吹雪の中テントを設営する。

◇ 1/4 暴風雪

 停滞

午前中は日本海低気圧による疑似好天で、少し風が弱まったが、午後から再び猛烈な吹雪になる。
天気図をとってみて、1/5も好天が期待できないため、撤退と決定する。
夜、明日の好天を願い、みんなで2礼2拍手1礼をする。

◇ 1/5 雪強し

 テン場発(0720)—Ⅰ峰(0820)—P8上(1100)—P7(1330)—  P6上(1440)—P6,P5コルテン場着(1615)、設営完了(1710)

今日も相変わらず雪。昨日よりは多少、風が弱くなったように思える。
是が非でも生きて帰るため、出発する。
P8の上までは順調にいく。
P8のコルへの下りで、雪面に大きな亀裂が入っていて、河竹はおそるおそるそこに踏み込むと、バシッ!という音と共に大きく雪面が割れ、河竹はそこにはまる。
ようやく逃げだし、結局そこは懸垂で下降し、沢に入る。
この沢もモコモコの雪でとても怖い。頭上は大きく亀裂が入っている。
胃がキリキリしながらそこを通り抜け、懸垂でP7とのコルにたどり着く。
「これで危険は去った!」と思いきや、そこからの稜は、12/31とは全く地形が変わっているではないか!
何でもなかった雪稜は、極めて危なっかしいナイフエッジに変わっている。
最初に河竹リード。おそるおそる雪稜を進む。ホワイトアウトで稜と空の区別が付かない。
20mほど進み、右足を踏み込んだとき、その足下からザーッと大きく雪庇が崩れていった。これにはびびった。
次は堀リード。5日前にはなかった大きなキノコ雪が張り出している。
次のナイフエッジの降りは乃村リード。やはり雪庇を大きく落としていった。
この時点ですでに3時前。目標としていた無名岩峰のコルまでは到底行けないので、P6,P5のコルに張ろうということになる。
そこまでは2ピッチ。最初は河竹がリード。ラクダ岩のトラバース。
その次の、堀のリードした雪壁が悪かった。
雪壁に大きな亀裂が走っている。堀は何とかそこをリード。
そして亀裂の入っているコルを整地して、幕営する。
夜、ラジオのニュースで、黒部で雪崩遭難があったことを知る。人事ではない。
今日は本当に、いつでも死ねるところばかりだった。
1/1からの大雪で、まったく地形が変わっており、しかも雪が不安定にひっついており、そこら中の斜面に大きな亀裂が入っていて、とても危険な状態であった。
これが明日も続くのかと思うと、とても気が重くなる。そして天気。
いったいいつ、太陽が拝めるのか。
この日のテント内の雰囲気は、いつになく沈んだものになった。

◇ 1/6 雪→晴れ

 テン場発(0740)—P5(0810)—P4下(0930)—P3(1030)  —無名岩峰のコル(1320)—安全圏(1520)—Ⅳ稜上テン場着(1530)

夜中ブンブンの風が吹いていて、朝もそれが続き、「今日はここで沈か」と思っていたら、風が弱まってきたので出発する。
昨日からテントが傾いているな、と思っていたが、最初にテントから出た人が、いきなり首まではまる。
クレバスがテントの下まできていたのだ。「今日、もし沈やったら、俺ら死んでたな」と話す。
P5まではすぐ。P5の降りは、登ってきたルートではなく、稜上を懸垂で下る。乃村トップ。
P4付近も、とても雪が不安定。河竹リードするが、30mほどで堪忍してもらう。
そしてビレイしようとザックを置いたらそこの雪面が音もなく大きく裂け、びびる。
P4のナイフエッジの下降は乃村リード。やはり雪庇を大きく落としながらのきわどい下降になった。
次にP3までは堀リード。その下降は乃村リード。
P2上までは河竹リードし、その下を堀がリードし、乃村懸垂で雪壁に出る。
このあたりでようやくお日様がでてきて、みんなで拝む。

実に1週間ぶりの太陽!

その下は雪壁だが、安定していそうなので、河竹と堀でようやく、無名岩峰のコルに出る。
あと250m、四の沢を下れば安全圏である。ここまで、2日前に下ったサンナビキ同人のトレースは、全く見つかっていない。
念のため四の沢の弱層テストをする。まあいけるやろてことで出発。
途中亀裂が何カ所も入っていたが、雪崩が起きることもなく、懸垂地点に到着。
乃村がそれを登り返し、ついに安全圏に到着!
もう、嬉しいったらなかった。
ワカンに履き替え、出発。すぐにサンナビキ同人のトレースに合流し、30分ほど下って幕営。
この日のテント内は、とても明るいものだった。

◇ 1/7 晴れ→くもり

 テン場発(0720)—剣沢(0730)—サンナビキに合流(0810)—ヘリ飛来、ピックアップ(0930〜1240)  大町駅着(1450)

トレースをひたすら追い、サンナビキに追いつく。
もうすぐハシゴ谷というところでヘリが飛来、ピックアップされ、一気に黒四ダムへ。
ハシゴ谷〜黒四までは「入山してはいけない」ということで、強引にピックアップされた。
こうして11日間の山行が終わった。

感想として、
① 久々の、精神が削られる山行になった。まさに「命がけ」と言う言葉がが当てはまるものになった。生きて帰れて、本当に嬉しい。
② ここ数年の暖冬傾向で、少々剣をなめている部分があった。
③ ただ、燃料、食糧は豊富に持っていったため、その面では余裕を持って過ごせた。(ちなみにノンデポ)
④ ただ、やはり燃料は大いに超したことはない。1人200ml/1日くらいは必要か。(今回は150ml)
⑤ それと装備は新しいものがよい。グローブ、スパッツは言うに及ばず、ザックなども。

こんな感じでした。
とにかく疲れました。自分は今回の山行で、5㎏体重が落ちました。
冬の剣の神髄に触れた!という感じです。

◆補足

上坂さんへ

<(1)停滞したパーティーだけでなく、撤退や中止をしたパーティーも含めて、この年
<末年始に山行を試みたできるだけ多くの方々から、(結果の当否はともかく)どの時点
<で何を根拠に行動を決定していたのか、また、救援要請を出した基準や連絡手段につい
<ても公表していただけないでしょうか。

我々のパーティーの行動を、ふり返りたいと思います。

◇12/28 雪    日向山〜内蔵助出合上部泊
◇12/29 快晴  泊地〜ハシゴ谷乗越〜Ⅳ稜上泊
◇ 12/30 晴れ  泊地〜無名岩峰〜(4Pフィックス)〜無名岩峰とP2のコル泊
             (サンナビキ同人と合流)
◇12/31 雪    泊地〜P2〜P7〜P8とⅠ峰のコル泊
◇ 1/ 1 暴風雪 停滞  
  この日の停滞の理由は、行動できないほどの天候ではなかったが、上部八ツ峰稜線上に泊まった場合、
  強い風に悩まされると判断したからである。
  また、天気図上で、それほど冬型が長続きしないと思われたので、
 (この時はシベリアに高気圧がなく、揚子江付近にあった。これが移動性高気圧になると思った)
 翌日はどんな天候であっても行動しようと決定した。

◇ 1/ 2 暴風雪 泊地〜Ⅰ峰〜Ⅰ,Ⅱ峰間のコル泊
午前中は日本海北部の低気圧の通過で、若干風も弱かったが、午後になって本格的な冬型になってきた。
Ⅱ峰に行くトラバース地点がホワイトアウトのせいでわからず、ここに張る。
予備日は1/10までとってあったが、豊かな食事は1/7の夜までしかなかったため、
この日より長期化に備え、朝食、夕食を切りつめる。
もしこの日にⅤ,Ⅵのコルまで行っていたら、富山労山、境町山の会と同じく、閉じこめられていたと思う。

◇1/ 3 暴風雪 停滞
この日、サンナビキ同人は下山していった。彼らは最終下山が1/7であったため、であると思われる。
我々は好天を待って、待機とした。

◇1/4 暴風雪 停滞
地上天気図を見ると回復は絶望的。さらに積雪量も増え、状況がよく分からない八ツ峰主稜を行くよりは、
よく分かっているⅣ稜を下ることに決定。

撤退の理由:
① 八ツ峰主稜よりは、Ⅳ稜のほうがよくルート状況を分かっているから
② 八ツ峰主稜を行くと、何日かかるか分からない。
Ⅳ稜を下るのであれば、3〜4日で下れる。
つまり予備日の範囲内で、下山が可能。
③ 八ツ峰主稜、並びに本峰稜線の積雪状況と風が心配。
悪くすると、完全に閉じこめられてしまう。
 以上の理由による。

◇1/5 暴風雪 泊地〜Ⅰ峰〜P8のコル〜P5、P6間のコル泊
 この日は安全地帯までは行けなかった。

◇1/6 雪〜晴れ 泊地〜無名岩峰〜Ⅳ稜下部泊
 この日、ようやく安全地帯に抜ける。
 安全地帯に抜けたところでサンナビキのトレースに出会う。
 この日、食糧、燃料を開放する。明日に下山できる目途がついた。

◇ 1/7 晴れ〜くもり
 泊地〜ハシゴ谷乗越手前でヘリ到来=黒4ダム=日向山
7:20泊地を出発。7:30剣沢。8:30ハシゴ谷尾根上でサンナビキに合流、共同してラッセル。
9:30ハシゴ谷乗越直前で県警ヘリ飛来。ヘリは当パーティーがサンナビキ同人とCMCであると確認。
さらにその後我々の上でホバリングし、救助隊員が下降する。
荷物をまとめ、ピックアップの準備。
1030頃より順次ピックアップ開始。
1240終了。全員黒4ダムに集結する。
さらに関西電力の厚意により、日向山までバスに乗せてもらえる。

以上です。

正直言って、幸運がいくつかついてくれてたように思います。
1/2にもっと前進できていた場合。
あるいはもっと早く撤退を始めていて、1/4、5あたりに内蔵助付近を通行していた場合。
このようなことは、実際に起こり得ていたことなので、その場合は何らかの事故、もしくは救助に頼っていた可能性が高いです。
やはり今回は、遭難と紙一重であったと思います。

<また、
<> 我々以外の様々な状況が重なってのものであり、
<一般の読者には、こういう省略の仕方は文脈が行方不明になってしまいます。

すいません。こういう書き方しかできませんでした。
理由については上の方をお読み下さい。